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2011年6月15日 (水)

「安全な原発」(共産党『前衛』5月号)の幻想と、きっぱり手を切ろう

「3・11」をうけた4月から5月にかけての地方選で、共産党がはたして従来の原発政策を転換するのかに一部で関心が集まった。例えば[labor-members 22465]で村岡到さんが、「吉田万三氏、脱原発かかげ健闘 足立区長選」という記事を発信している(517日)。確かに脱原発を掲げる首長や議員が一人でも多く当選することは望ましいことだ。だが共産党といえば遠くない過去の一時期まで、むしろ積極的な原発推進派だった。それを明確に自己批判して反原発・脱原発を掲げるのでなければ、「3・11」後のいつ収束するかも判らない甚大な放射線被害に驚いて、御用学者の一部が逃げ出したのと少しも違わない。村岡さんは、吉田氏の「脱原発、自然エネルギーへの転換 原発問題・防災対策第講演会」という名の選挙集会を紹介し、『赤旗』の報道が「脱原発、自然エネルギーへの転換」という部分をカットしたことを批判している。共産党の「転換」なるものがその程度であることを、村岡さんも感じ取られたのではないのか? 

そのほか『前衛』誌5月~6月号の地震・原発事故の特集記事に、なんとか共産党の「路線転換」の「証拠」を見つけたがっている人たちがいる。また不破哲三(現・社会科学研究所長)の510日の講義「『科学の目』で原発災害を考える」(注1)にも注目が集まった。それらを検討し、「路線転換」が一体なにものであるか考えてみたい。なぜなら菅首相が「新エネルギー戦略」なるものを推進しようとしているからだ。それは自然エネルギーへのシフトを表に出しながら、実は「安全な原発」を基幹エネルギーとして位置づけなおしているからである。それは共産党の路線とぴったり一致する。G8IAEAの「権威」を利用して、来年後半にも再び推進政策を再始動させようとする動きに対し、私たちはすべての「現場」で全原発の廃炉にむけた闘いを進めなければならない。

●「安全な原発」を要求し続けてきたと、言い訳をする『前衛』6月号

「原子力・エネルギー政策の抜本的転換を求める」という特集が『前衛』6月号の目玉だ。この「抜本的転換」という言葉に期待を寄せる人がいるが、内容は76年以来の「原子力政策、原発問題での日本共産党の国会質問」を採録しただけである。その内容が「抜本的転換」というのなら、共産党は76年からずっと「転換」していたということになる。

99年までの5回が当時の不破書記長、しばらくあいて06年からは吉井英勝議員が3回の質問を行っている。内容的には76年の質問は、原子炉の安全審査体制、使用済み核燃料の輸送と再処理の安全性、プルトニウムの安全性確保・核ジャック対策、情報公開の要求である。スリーマイル島の事故を受けた80年の質問は、想定を越えた事故に対する備え、原発が集中する若狭湾の危険性、事故に対する政府の関与の要求。81年の質問は、大地震の想定震源域にある浜岡原発の危険性の指摘だ。東海村での臨界事故の1ヶ月後に行われた99年の質問は、推進機関から独立した規制機関の要求、プルトニウム方式に代わる「新しいエネルギー政策」の提案(注2)である。吉井議員の質問は以下のようだ。06年の3月と10月には、大津波による原子炉の冷却不能・炉心溶融の危険性について質している。また105月には、石川県の志賀原発で起こった地滑りによる送電鉄塔の倒壊(05年)などの例をひいて、電源喪失による炉心溶融への対策を要求している。またシビアな事故に起因する被害規模と補償額についても質問している。

こうしてみると、一連の質問は全て原発の存在を前提とし、そのうえで立地・安全審査・事故対策・廃棄物処理などの点で安全性を要求してきたことに尽きる。また京大で原子核工学を学んだという吉井議員の質問はかなり技術的だが、当時の知見や原発への懸念を表明したものに過ぎない。福島原発事故が起こってしまった今日、そのような危機感をなぜ広く共有し運動化できなかったかが、私たちも含め深刻に問われている。単に当時の質問を再掲するだけでは、「ほーら、あのとき言ったじゃないか」という高慢な責任逃れと少しも違わない。不破氏の510日の講義は「原子力発電は『未完成』で危険な技術」という趣旨だ。基本的には原発の建設を是認し、ただ技術の「一層の発展」と、「安全性と危険補償にたいする民主的な法的技術的措置の完了をまって」(61年の中央委決議)というスタンスを再録している。全体として共産党の立場は、「科学の進歩」に対する根強い幻想にもとづき、「安全な原発」キャンペーンを「左」から補完するものと言えよう。

●「安全な原発」?・・・古川和夫『原発安全革命』(文春新書)

Fuji (日経BP 090805より)

『前衛』5月号では柳町論文で、端的に「平和で安全な原子力研究開発」が提唱され、古川和夫『「原発」革命』(文春新書)が推奨されている(注3)。「トリウム溶融塩核エネルギー協働(発電と増殖)システム」には、①固体燃料から液体燃料への革命、②ウランからトリウムへの革命、③大型から小型への革命があるという。プルトニウムから離れた非軍事的体系で、過酷な事故がなく、プルトニウムや放射性廃棄物をその

炉中で処理できるという夢のような話だ。この発電方式は、米オークリッジ国立研究所で60年代に実験炉が開発され、69年まで臨界実験が行われたが、政府の方針が軽水炉方式に絞られ、中止させられた。しかしこの1月に中国がトリウム溶融塩方式の開発を決め、軽水炉原発の事故も起こって、「日経ビジネス」や「東洋経済」でも取り上げられるようになった(3)。それは本当に「革命」的で「安全」な技術なのか?

技術的な問題は別にして、古川氏の提案の致命的な問題点は4つある。①21世紀をとおして年間2.3%のエネルギー増加率(100年で10倍)を前提にする成長至上主義、②それに核エネルギーで対応するという核=基幹エネルギー説、③溶融塩炉に携わる研究・開発者がほぼ「0」という現状への無策、そして④技術上の「安全」性と「安価」という経済合理性により自然と採用が促進されるという楽観主義がそれだ。

そして技術的には、「ウランやプルトニウムに代わる」トリウムの使用と、溶融塩(高温で溶融した金属塩)媒体の「化学プラント」の構築がポイントだ。それで「安全性」と「経済性」を確保するというのだが、そこには多くのウソが含まれている。①トリウム(232Th)はさも安全な物質のように言われているが、半減期が140億年と長く不活性とはいえ、放射線を出して崩壊するりっぱな放射性物質である(注5)。②炉中でトリウムは高速/熱中性子を捕獲してまず233Thとなり、それは半減期が22分で高い放射能をもつ。③プロトアクチニウム(233Pa、半減期27日)を経てそれが崩壊するとウラン233233U)になるのだが、それが実際の燃料とも「火種」ともなる。④また233Uの生成には「ガンマ線強度が異例に高い・・・遮蔽が容易でない」232Uが副産物として生成する(注6)。⑤高速/熱中性子をトリウムにぶつけるための初期の「火種」はウランやプルトニウムを想定している。⑥FUJI-Ⅱと言われる実験炉のプルトニウム生成量をライフで800gと推定している(注7)。――こうしてトリウム溶融塩炉は、実際には高温の溶融塩に溶かしこまれた各種のより危険な放射性物質を含み/生成するのであって、軽水型原発との違いは固形か液体燃料かの差異でしかない。

古川はトリウム溶融塩炉は「化学プラントだから安全だ」と繰り返し主張している。しかし化学プラントでも数多くの事故が発生している。また労働省が2000年に出した「化学プラントにかかるセーフティ・アセスメントに関する指針」(注8)では、化学プラントを「化学物質の製造、取扱い、貯蔵等を目的」としたものと定義しており、発電・増殖を目的としたシステムを化学プラントと強弁するのはそもそも無理がある。そして実際に「定量的評価表」のチェックリストをFUJI-Ⅱに適用してみると、使用する物質の毒性(放射線)を無視しても、「危険度が高い」ランクⅠのボーダー=16点を大きく越えて、少なくとも27点になってしまう(注9)。ランクⅠだとHAZAP(注10)などの手法を用いた安全対策が要求されるのだが、古川氏の主張は「化学プラントだから安全」という、証明・保証のない循環論法に陥ってしまうのだ。

●「科学主義」「成長至上主義」の清算が、全原発廃炉の根本問題

およそ科学ジャーナリストのレベルと思える古川氏の言説に、どうして共産党(とその周辺の人々)はコロリと騙されてしまうのだろうか? それは古川氏と同じ成長至上主義と、核=基幹エネルギー説を共有しているからであり、また科学に対する無批判な幻想に支配されているからだ。戦後の科学・技術は、巨大エネルギーとオートメーションをキーワードに出発した。共産党とその影響下の科学者たちは、55年の原子力基本法に「自主・民主・公開」の3原則を書きこませることで、原子力の「平和利用」を認め/推進した。そこには明らかに科学信仰と「民主連合政府」の展望があった(注11)。そしてより根本的にはエンゲルス流の「科学的社会主義」――社会主義は科学になった、その認識によって社会主義は必然的に実現される、という観念に由来するのかもしれない。そしてそれは、愛媛県・伊方で四国電力が主催した原発の「安全性」を主張するシンポジウムに、「民主的科学者」がパネラーとして参加するようなことにつながった。

5月以来、共産党系の労組で廃炉の方向への「転換」が進んでいる。まず全労連が「原発依存ではなく自然エネルギーへの転換を」という政策提言(案)を発表、続いて出版労連が「声明 原発に依存しない社会の構築に向けて」を発している。6月になって『赤旗』紙は「原発ゼロへ緊急行動」と大見出しをかかげ、72日のデモを呼びかけたが、これらは良いことだ。だが全労連は、「福島原発の重大事故を経験した国民意識」を契機に原発の「順次廃止」を提起しており、大衆追随の感を否めない。また出版労連は「不都合な情報は隠蔽され、『科学』の名を借りた『粉飾』が行われていた」と主張するが、自分の身に返ってくるものはないのか省みる必要があるだろう。共産党は「下からの突き上げ」で7/2行動をもつことになったようだが、そのとき戦後の原発推進の総括、ひいては成長至上主義や科学への幻想と手を切ることが必須である。

原発事故から3ヵ月たつかたたないかで、すでに「やっぱり原発は手放せない」という言説が起こっている。「バランスのとれたエネルギー政策」という耳触りのよい言い方で、「安全な原発」を残そうとする主張が始まっている。核エネルギーがほんらい制御不能であり、健康に対し放射線が閾値をもたないことを再確認しよう。それは科学や技術の対象ではない。ましてや経済成長のためのものでもない。全原発を直ちに廃炉にする以外、私たちの進むべき道はないだろう。グローバルに闘われた「611」の67,000人結集を足がかりに、繰り返し街頭に露出し、繰り返すごとに勢力を拡大して、政府・資本・御用学者・マスコミ、そして原発推進の電力総連を追いつめていこう。

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(注1http://www.jcp.or.jp/seisaku/2011/20110510_fuwa._genpatsu.html

 その後、図表などを加え150円のパンフになっている。かなり読まれているそうだ

(注2)「5年前に提案した」と言っているが、時期・内容は特定できなかった。次節の「トリウム溶融塩炉」のことかもしれない

(注3)柳町秀一氏は、原発問題住民運動全国連絡センター事務局長。実は古川和夫『「原発」革命』(01年、文春新書)は絶版・品切れで、福島原発事故をうけ、この5月に同新書から増補新版として『原発安全革命』が出版された。私の文章はは『原発安全革命』による

(4)『日経ビジネス』3/3号、谷口正次(資源・環境ジャーナリスト)

 http://bussiness.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110225/218599 

『同』4/7 号、同 http://www.nikkeibp.co.jp/article/news/20110407/266162

『週刊東洋経済』6/11号、亀井啓史(立命館大学)論文・・・これはまだネットでは検索できない

(注5)ウラン、アクチニウム、ネプツニウムと並ぶアクチノイド・アルファ系列の1つのトリウム崩壊系列。古川はアルファ線の放出量はウラン233の約1/7と言うが、それでも十分に高い。『原発安全革命』P104

(注6)古川はガンマ線の容易には遮蔽できない危険性について、「核物質の盗難監視や検出・検知が容易になる」と居直る『同』(P140~1

(注7)全寿命でウラン2331,920kg消費するのに対し、800gのプルトニウムが生成する。その他、高温で容易に金属を透過する放射性同位元素=トリチウム(三重水素)も生成する(P165171

(注8)労働省労働基準局長が、都道府県労働基準局長に対し「関係事業場に対する周知」を指示したもの

 http://www.jaish.gr.jp/anzen/hor/hombun/hor1-41/hor1-41-10-1-0.htm

(9)FUJI-Ⅱの「定量的評価表」での計算結果を示す。核燃料および臨界点での設備操作はもともと「化学プラント」の採点表になじまないが、その最高点をあてはめた。配点は危険度に応じ10520

評価項目

特性

採点

備考

物質

爆発性の物、発火性の物、可燃性ガス

10

実際は放射性物質

エレメント容量

10~50m3

2

温度

500~1000

5

圧力

1Mpa未満

0

1Mpa=約10気圧

操作

爆発範囲内またはその付近での操作

10

実際は臨界点での操作

                合計

27

16点~は「危険度が高い」

(注10HAZOPHazard and Operability)の一例として、東洋エンジニアリング(株)の資料がある

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000016sgi-att/2r98520000016su8.pdf

(注11)私のBlog 「闘う科学者―久米三四郎『科学としての反原発』」を参照

http://yo3only.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-eeaf.html

  ついでに言うと、戦後の経済復興の「エネルギーとオートメーション」という概念は、海軍の「石油不足で負けた」、陸軍の「機械力で負けた」という戦争の「総括」を引き継いでいるように思える。それゆえ原子力の「平和利用」に飛びつき、核武装論がたびたび繰り返されるのである

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コメント

昔から共産党は体制内補完物として戦う人々を権力に売ったり、弾圧してきた。その過去は現在まで続いていると思われる。だから、人民から見捨てられジリ貧じょうたいであるのはもっともな事です。
彼等を信用すると後ろ足で砂を掛けられます。要注意。

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