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2013年6月 6日 (木)

「国民運動としての反原発運動」に、”まともな批判”を試みる

反原発運動における「国民」ということの問題について、首都圏反原発連合(反原連)の野間易通と、外国人への差別を許すな・川崎連絡会議の朴鐘碩とのあいだで議論があった(注1)。「日印間原子力民間交渉の即時停止を求める声明」へのネット署名運動が行われているが、そのURL(注2)に下図のようなイラストを見て、朴は違和感を覚えたのだ。「国際連帯で原発を世界からなくそうとする平和人権運動体が、アジアへの侵略戦争で利用し国民国家を支える日の丸を登場させる必要があるのか」、と。「反原発運動で使われる『国民』は日本人を意味するのでしょうか?」という朴の問いに、野間は敏感に反応している。「こういう論理も何もないいちゃもんはそろそろやめにしてほしい」、と。そして断言する。「反原発運動における『国民』への言及について批判や疑問は常に提起されているけど、まともな批判はついぞ見たことがない。ほとんどが『国民』という言葉へのアレルギーを表明したものに過ぎない」、と。

野間が言う「ついぞ見たことがない」というのが本当かどうか、「まともな批判」がどんなものとして考えられているかは、知らない。だが、首相官邸前の抗議行動で「国民運動としての反原発運動」がめざされ、可視化され、人々に「国民」というイデオロギーをチャージしていることは確かだ。国民および国民運動について、まともに批判を試みる必要があるだろう。

▲図はPDF版を参照 「130606.pdf」をダウンロード

 

 

●フランス革命が作りだした、ブルジョア国家と国民の関係

 野間は、Twitterで「国民主権の民主主義国家が政策として行ったこと(原発推進―筆者)に主権者の『国民』が責任を負うのは当たり前」、と述べている。それはかなり教科書的で、国民主権、民主主義国家という概念を無批判に前提し、国民をひとかたまりの「主権者」として集合的かつ実体的に捉えている。だがそれは、国家と国民との関係において、かつ歴史的に見てみれば、イデオロギーに過ぎないことがわかる。

 フランス革命について山崎文夫はいう。「1789年のフランス革命は、国家と個人以外の存在を認めなかった。あらゆる集団は、一般意思(=国家意思―筆者)の形成を妨げ、国家中国家をなすものとして禁止された」(注3)、と。同年の「人および市民の権利宣言」は自由・平等・博愛を標榜したが、それは独立して商品生産を行うブルジョア達のものだった。一方、それは同時に結社の自由を否認している。91年には同職組合(ギルド)を廃止、また労働者の団結を禁止した。ストライキが刑事罰から解放(ストライキの自由)されたのは1864年、同じく組合結成が解放(労働組合の自由)されたのは84年、ストライキの権利(解雇されない)が確立したのは1946年になってからだ。1848年の革命や71年のパリコミューンの闘い、そして第2次大戦後の労組の組織拡大がなければ、それは達成されなかった。こうして国家―国民関係は、ブルジョアジーを支配階級として組織し、後には福祉と排外主義のイデオロギーによる労働者の「国民的統合」を試みるなかで形成されてきたのである。

 そして新自由主義が世界をおおう今日、歴史は一回りしてフランス革命当初の状況が再現されている。福祉は切り捨てられ、労働者は正社員と膨大な非正規労働者に分断され、排外主義の扇動が横行している。闘う労働者には刑事弾圧のみならず、裁判所が団結権・団交権・争議権を抑圧する間接強制(注4)の攻撃が多発している。析出しているのは、国家によって「国民」として束ねられる、バラバラにされた個人だ。そして不思議なことは、この状況が首相官邸前の抗議行動に反映されているというよりは、むしろあるべき姿として意図して推進されている点である。組合や団体の旗の禁止、「再稼働反対!」のシングル・イッシュー、スタッフと機動隊との協調、機動隊指揮車からの解散の指示――等々だ。国家が束ねるバラバラにされた個人と、首相官邸前の運動が組織されるあり方。この2つのピラミッドは相似形をなし、向き合い、または重なって現前しているように思える。

 

●首相官邸前という「器」と、スペクタクルをめざす「実務集団」

野間には『金曜官邸前抗議―デモの声が政治を変える』(河出書房新社)という著書がある。そこにまとまった国家論があるわけではない。だが抗議行動の位置づけや参加者への見方のなかに、国家―国民関係への考えをみてとることができる。

金曜行動が成功した「動員の革命」について、野間の把握はかなり的確だ。野間は津田大介の発言を引用する。「官邸前デモで新しかったと思うのは、毎週決まった時間にやったことです」(P52)。それは首相官邸前という「場所」を確保した点では、タハリール広場、プエルタ・デル・ソル広場、ウォール街、そして経産省前テントひろばの流れを引き継いでいる。一方、ウォール街や経産省前の運動が永続的なOccupyをめざしたのに対し、金曜日の6時から8時という枠を自ら設けたことが違う。また、タハリール広場などが人々の討議の場や出撃拠点となっていたのに対し、金曜行動は首相官邸に向けた単一のベクトルをもつ抗議と位置付けられた。この点では、歌の禁止について野間が述べている。「(官邸前では)自己表現や個性の表出よりも、抗議の表現であることが重視された。・・・この場が参加者に向けて語りかける集会の場ではない」(P64)、と。すなわち参加者は双方向的な関係は拒否され、ひたすら「あいつらの耳に原発をやめろ、再稼働をやめろということを響かせる」(P55)マシーンとして考えられていたことになる。そこで反原連スタッフはマシーンをあつかう「完全な実務集団」(P18)であり、めざすものはマスコミを引きつける「スペクタクル」だったのではないか。野間は言う。「629日のようなスペクタクルにならなければ、それは扱われることはない。政治ではなく社会的事件としてしか、デモや抗議行動は取り上げられない」(P110)、と。反原発運動が高揚するためには、「政治」であってはならなかったのだ。

 大衆運動にたいするこのような考え方は、国家に対するスタンスと対になっている。野間の言を聞こう。「首都圏反原発運動は・・・現場の警察を『闘うべき権力』とは見なしていなかった。闘うべき相手は、警察の阻止線の向こう側にいる権力の実体そのもの、すなわち首相と内閣、そして彼らの原子力政策を担う官僚や原子力産業その他からなる『原子力ムラ』だった」(P133)。首相官邸前に立ちはだかる機動隊や警備車両は「柵のようなもの」、「おだて、抱き込み、うまくかわす対象」(同)、というのである。これは、原発再稼働をめざす首相官邸と政策的に対向する権力構造を反映しているだけで、国家に対する特段の認識が表明されているわけではない。ただ特徴的なのは、機動隊を「柵」として無視したがるスタンスがあるだけだ。

 

●日の丸は、「民主主義の主体たる国民」のシンボル?

積極的な主張は日の丸の問題に関して表明されている。野間は、「日の丸の意味を『侵略の象徴』と一意的に解釈可能なのは・・・、ある特定の文脈においてのみに過ぎない」(P173)とする。過去の戦争にまつわる歴史認識の問題や、日本の国粋主義を論じるような文脈のことだ。そして「アプリオリにその『文脈』のなかに・・・安住していた」(同)と、市民運動を批判する。文脈は様々だと言うのである。

いわく、①それ自体は「国旗」、②日の丸は特定の政治的テーマに関連しない「シンボル」、③掲げることは「社会習慣」、④福島を返せという叫びに代表される「ナショナリズム/パトリオティズム」という反原発運動の性格を表す――等々だ。はては、⑤「民主主義の象徴」にまでなってしまう。「国旗は政権や国家そのもののシンボルとしてではなく、民主主義の主体たる人々、本来の意味での『国民(nation)』のシンボルとしてつかわれている」(P176)、と。このような言説は全体的には本質を見失う相対主義であり、根本的には国家―国民の関係を民主主義的なものとしてくくっている。反原連は日の丸などのシンボルに「特定の解釈を押しつけるべきではないと考えていた」(P172)そうだ。だが実際は、まさに国家の下にバラバラにされた国民を統合し、それを象徴=可視化する点に日の丸の本質と機能を認めているのである。ここで「国民」概念は、フランス革命時のブルジョアに近い。

野間は言う。「日の丸は、民主主義を体現しない国家に対し、民主主義を実行せよと求めるなかで、あるべき民主主義の象徴として掲げられている。・・・戦後民主主義の国旗として使われた時代の方が(全体主義や国粋主義の時代より―筆者)はるかに長いのだから、こういう用法が出てくるのは当然なのだ」(P175~6)、と。だが、68年にわたって戦後民主主義の時代があったというなら、ほぼそれに重なり、「民主主義を体現しない国家」によって日の丸が押しつけられる歴史があった。日の丸が「国旗」だというなら、大きな反対運動のなかで「国旗・国歌法」が強行採決された1999年以来のことにすぎない。結局、野間の著書のなかには相対主義と戦後民主主義の無批判な称揚があるだけで、国家についての「まともな批判」はなかった。従って国民についても同様の認識が反映することになる。

 

●人々の熱い思いを閉じ込める、シングル・イッシュ―の打破を

 国民運動に関しては、もはや多くを語る必要がないかもしれない。ただ国民運動といわれる運動の歴史をひとつだけ振り返っておこう。1954年の第五福竜丸事件を契機に、最終的には3,259万筆(注5)にのぼった原水禁署名運動が始まった。「東亜解放」を唱えて教職追放された安井郁が呼びかけ、婦人運動の興隆を背景にシングル・イッシューの運動として展開された。山本昭宏はこの運動の性格について述べている。「あくまで原水爆実験に反対か否かのシングル・イッシューに焦点を当てたこの署名運動は、政治性を脱色し、敢えて大きな器を準備するにとどまった」(注6P122)、と。安井は総評など「左翼団体」とその「政治運動の色彩」を忌避し、「広島・長崎への原爆被害の問題を含まず、『死の灰』の汚染による健康被害の問題を基盤にしたからこそ、運動は急速に広まった」(P122~4)。だがそれと並行し、原子力の「平和利用」という世論が政府―マスコミ―科学者たちの手で醸成されていく。シングル・イッシューの、人々が「被害者」として固定された運動は、そのなかで核の軍事的―「平和的」利用への批判と闘いを深めることができなかった。そして容易に、経済成長と科学への期待に回収されていったのである。

 もちろん官邸前につめかける人々の思いは熱い。再稼働阻止の叫びは、1255日の全原発の停止によって、原発50年の歴史もひっくり返すことができるという自信があふれだした。たとえ大飯原発が再稼働したとしても、いちど止まったものは再び止めることができるという確信に満ちていた。それゆえこの運動を「国民運動」という枠に押しとどめてはならないのである。表現と討論を全面的に解放し、官邸前という「場所」から様々な運動へと展開させ、原発再稼働をねらう資本や国家への全面的な批判に差し向けることが大切なのだ。野間は、大飯原発再稼働時の30時間をこえるゲート封鎖闘争に関し、反原連元メンバーの発言を引用している。「あれは現地だったからこそ意味があった。官邸前はそういうやり方とはまた別」(P135)、という発言だ。野間はそれを、「社会運動恐怖症、あるいは政治的無関心、暴力への過剰な忌避」という「日本の実情や政情」(P136)なるもので合理化する。それは一種の大衆蔑視につながりかねない。また戦術選択の問題は別にして、官邸前と原発現地での闘いを分断することはナンセンスだ。62日の国会前大行動の集会では、半ばちかくが再稼働を迎え撃つ原発現地の方々の発言だった。それをスペクタクルとして消費するだけであってはならない。

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(注1)両氏の見解は、Blog「薔薇、または陽だまりの猫」の2013-05-25で見ることができる。朴は「日立就職差別事件」の当該だ。74年に横浜地裁で、土地調査事業や朝鮮人強制連行の事実、社会的差別の中で「通名」を使わざるをえない状況の認定を含む全面勝利判決をかちとり、判決はそのまま確定した

(注2http://www.dianuke.org.stop-india-japan-nuclear-agreement-an-international-appeal/

(注3)「フランスにおけるストライキ権の主体」http://ci.nii.ac.jp/naid/120002809069

(注4)労働法にもとづく正当行為を、損害賠償という民事的手法で「間接」的に自制「強制」する弾圧手法

(注51954年の人口=8,824万人に対し約37%にあたる

(注6)『核エネルギー言説の戦後史1945-1960』(人文書院)P122。なおその他、ピープルズ・プラン研究所のCD-R版「初期原水爆禁止運動聞き取りプロジェクト記録集成」、藤原修『原水爆禁止運動の成立』(明治学院国際平和研究所)などがある

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コメント

友人の紹介で、「国民運動としての反原発運動」に、”まともな批判”を試みる」を読みました。
朴鐘碩を批判した(あれは批判という代物でしょうか?)野間なにがしを批判されてますね。

概ね、賛成します。野間なにがしの本を読んでいないので、彼の理論、思想はわかりません。
しかしここで引用されている彼の言い分からすると、植民地主義とは何か、グローバリズムとは
何か、そこにおける国家の役割は何かについて根本的な理解、認識に欠けていると思います。
この認識のないところで教科書に出てくる(そもそも教科書とは何か?)レベルの国民、国家観
でしか語れず、朴が原発反対に日の丸を掲げる違和感、問題点の指摘に反論できてません。

私の植民地主義批判の内容は、6月7日の仏大統領来日に反対する院内集会で話した内容を
参考にしてください。
http://www.ustream.tv/recorded/33963405

同じく原発輸出と日の丸を批判した官邸前でのデモの発言もあります。
http://www.ustream.tv/recorded/33966067


「国民国家とは植民地主義を再生産する装置」と看破した西川長夫をしっかりと読むべきですね。

参考までに私のブログで書いたものを紹介します。

2013年6月10日月曜日
先週は画期的な一週間でした。Twitterで綴ります。
http://www.oklos-che.com/2013/06/twitter.html

コメント、ありがとうございました。
6月7日の院内集会には私も参加しており、お話は伺いました。
その他、いただいた資料は読まさせていただきます。

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