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2013年11月19日 (火)

映画『ハンナ・アーレント』―彼女の「人間」概念とは何だったのか?

「ハンナ・アーレント」を観た。「鉛の時代」や「ローザ・ルクセンブルグ」で名声を得たマルガレーテ・フォン・トロッタが、脚本を書き監督した映画だ。アイヒマン裁判を傍聴し、『イェルサレムのアイヒマン』(みすず書房)を書いた19623年の時期のアーレントの心の動き、生活、そして交友関係の軋轢を描いている。

同書の副題は「悪の陳腐さについての報告」だ。ナチのジェノサイドという歴史的な巨悪が、「法律とヒットラーの命令に従っただけだ」と主張する、アイヒマンのような陳腐な人たちによって担われたことを指している。だが映画では、ジェノサイドがユダヤ人組織によって支えられたという側面がクローズアップされ、雑誌論文への抗議行動やさまざまな対立が起こったことが強調される。そして満席の教室の授業風景に移る。「アイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。・・・“思考の嵐”がもたらすのは、知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です」(脚本から。注1)――。この言葉への大きな拍手で映画は終わる。授業という一方向的な終わり方は安易で、判断力の強調もいくらか肩すかしをくったような気がした。

 

●ナチのジェノサイドが、どうして実行されえたのか

同書で彼女はアイヒマン裁判への3つの異議(P196)に注目する。①勝者の裁きではないか、②イェルサレムでの裁きが妥当か、③ユダヤ人に対する罪だったのか――である。彼女の答えは、①正義に基づく裁き、②国際法廷、③人道に対する罪だ。ジェノサイドについて彼女は述べる。「人類の多様性、すなわちそれなしには<人類>もしくは<人間性>という言葉そのものが意味を失うような<人間の地位>の特徴に対する攻撃なのだ。・・・人道に対する罪だったかぎりでは、それを裁くには国際法廷が必要だった」(P207)、と。このような認識は今日、おそらく多くの人々に共有されている。国際人道法の概念は第2次大戦後からあり、旧ユーゴ国際戦犯法廷(93年~)などの例もある。だがアメリカが主導したNATO軍のユーゴ介入は、人道の名による「野蛮」への戦争と位置づけられ、ハーグ国際戦犯法廷も「勝者の裁き」の色が濃かった。国際的であることは、必ずしも人道や正義を担保しない。アーレントはユーゴの事例を知らずに死んだ。それにしても彼女は、国家の問題、それと人道との関係をつきつめていないように感じられる。

彼女は、ジェノサイドが「犯罪的な法律のもとに犯罪的な国家によって行われた」(P202)ことを知っている。だがこの国家犯罪がなぜ実現されえたかという点では、かなり曖昧だ。彼女は圧倒的なナチの暴力とともに、全体主義の恣意性について触れている。「すべては常に絶えざる流動状態にあり、不断に流れていた」(P120)、と。ヒットラーの指令がそのまま法律だったのだ。この暴力と恣意性の組合せは、合理的―系統的な思考と行動を許さず、途方に暮れさせ、人々に恐怖の感情を植えつける。これはジェノサイドの迫害者と被害者に共通なものであった。被害者の側について彼女はいう。「従軍ユダヤ人・・・代々の家系――こうした特恵的カテゴリーの容認が・・・道徳的崩壊の始まりだったのだ。・・・自分の場合を<例外>と要求する者はすべて、暗黙のうちに原則(ジェノサイド―筆者)を認めてしまっていた」(P104)。このような人々が例えばハンガリーで476,000人の殺害を幇助し、1,684人が生き延びた。

だが一方、43年には28日間にわたって、ワルシャワ・ゲットーの決死の蜂起が戦われた。また占領下のヨーロッパ各地でナチへの抵抗運動や、ユダヤ人の潜伏支援の行為が拡がった。オランダでは数万人がかくまわれ、1万人が生きのびた。デンマークでは、ユダヤ人に識別用の黄色いバッジをつけさせろという要求を、「国王がまず第一にそのバッジをつけるだろう」とはねつけた(P134)。アーレントはこの例を、「真に政治的な意識の、市民権と国の独立の要求およびこの二つのものに対する責任について生得の理解の結果だった」(P139)、と絶賛している。だが、誰も「生得の理解」など持ってはいない。しかしドイツ人は、ワイマール共和国15年の経験を持っていた。としたら彼女は、存在としてのナチ統治から始めるのではなく、それを産みだすことになったドイツの階級闘争を振り返るべきだったのではないか。それによって、少なくとも人道や人間といった概念の抽象性を回避でき、社会学的・心理学的な分析に終わらなかっただろう。

 

●『人間の条件』におけるマルクス批判――「ヒト」の抽象性

この抽象性と分析手法については、58年に刊行された『人間の条件』(ちくま学芸文庫)にもどるのが良いかもしれない。なぜなら同書は、マルクスの『経済学批判』序説の唯物史観と、『資本論』への体系的な批判を試みたものだからだ。それは科学の発展とオートメーションの登場という「現代的な不安を背景にして、人間の条件を再検討する」ことをめざす。理論的には人間の活動力すなわち労働―仕事―活動の解明で、歴史的にはギリシャのポリスを起点にその3つのヒエラルヒーの変遷をたどるという構造だ(P1516)。第4章「仕事」は、おおむね職人や芸術家を意味する<工作人>に対応し、構想から完成に至る全プロセスを通して「完全に新しい物」を一品生産する。それは生活の必要に捉えられた、「始まりもなければ終わりもない」労働とは違う。また第5章「活動」は、とりあえずはギリシャのポリスにおける市民、すなわち家内奴隷制の頂点に立つ戦士の、公的領域における政治的活動に起点が置かれる。

労働はどうか。第3章「労働」は「以下の章ではカール・マルクスが批判されるだろう」、と始まる(P133)。アーレントの批判の起点は、『ドイツ・イデオロギ―』から抜き出した「自分自身の生命の再生産」という言葉だ。「マルクスは、労働と生殖は、繁殖力をもつ同一の生命過程の二つの様式であると理解し、それを自分の理論全体の基礎とした」(P162)という。「革命は、マルクスによれば、労働者階級を解放することではなく、むしろ、人間を労働から解放することを課題にしている」(P160)、と主張する。それは「必然〔必要〕からの解放である。これは究極的には、消費からの解放であり、したがって、ほかならぬ人間生活の条件である自然との新陳代謝からの解放を意味する」(P192)、と。彼女はオートメーションがその可能性を拓いたという。「この近代社会の理想が・・・実現される途端に愚者の楽園に変わってしまう」(P194)、と共産主義(運動)を揶揄する。「<労働する動物>がそれ(近代世界―筆者)を占拠し続けている限り、真の公的領域はありえず」、生まれるのは「大衆文化」と「消費経済」に過ぎないというのである(P195~)。以上はオートメーションと共産主義を同時に「批判」しようとする図式だが、完全に曲解だ(注2)。

以上のような「原理論」に基づき、彼女はキリスト教―科学―国家を検討する。近代は「世界疎外」として概括される。それを画するのは、①アメリカの発見、②宗教改革を発端とする私有財産と社会的富の蓄積、③望遠鏡の発明にはじまる科学の発展だ(P403)。宗教から失われたのは「救済の確かさ」(P441、注3)であった。そして「近代の主要な徳目――成功、勤勉、正直」(P442)――は宗教や経済においてのみならず、近代科学の最大の徳目でもあった。すなわち仮説―実験―認識(新たな仮説)という動作である。そこには「あるものが『なに』であり、『なぜ』あるのかという古い問題から、それが『いかに』生じたか」という観点への移行がある。それを受けて「国家とか呼ばれる・・・人工的動物を作る」(ホッブス)という、プラグマチックな政治哲学の試みも発したという。だがこの延長上でアーレントが国家を論ずるわけではない。かのヒエラルヒーそのものが「生命過程そのものの力」(P498)に呑みこまれ、活動する能力は「科学者たちの排他的な特権」となり、「賃仕事人の社会」となったと嘆いてこの本は終わる(P498~)。

 

●国家批判をなしえなかった、アーレントの反共主義

いや、近代国家についての叙述はあった。序章的な第2章「公的領域と私的領域」で彼女はいう。「公的領域が非常に限られた統治の領域に変形し・・・マルクスの時代に、この統治はすでに死滅し始めていた。つまり国家規模の『家計』に変形し始めていた。そして私たちの時代になると、公的領域は、いっそう限られた非人格的な管理の領域へと、完全に消滅し始めている」(P90)、と。彼女は、国家をその「経済的機能」に切り縮めている。また国家の実体を、そこで政治的な言動が繰り広げられる公的領域という「場」の問題にすりかえるのだが、彼女の中心的な関心はここにしかない。最後に「管理」とは官僚制の完成を意味する。

ところで彼女は、労働を「自然との新陳代謝」として語ったが、それを行う生産関係については語らなかった。さも労働に超自然的な創造力があるかのようである。しかし「労働力以外になんらの財産ももたない人間は・・・対象的労働条件の所有者となっている他の人々の奴隷とならねばならない」(注4)。彼女は資本家と労働者の対立関係を隠したのであり、また従って国家の問題を見ないようにした。彼女の国家に対する経済主義的・議会主義的態度については、彼女が育ったドイツ社民党の時代のせいにできるかも知れない。しかし最後の官僚制の問題こそ、「法律と命令に従ったまでだ」とうそぶくアイヒマンに典型的に現れるものだ。彼はまさにジェノサイドの「管理」労働を行ったのである。アーレントのように階級闘争を見ないようにするとき、または闘う主体が対立関係を顕在化できないとき、国家の権力行使はしゅくしゅくと「管理」労働として遂行されるだろう。ジェノサイドとは、国家と官僚機構による差別と排外の犯罪なのに、である。

彼女が『人間の条件』から『アイヒマン』の間で、この国家論を修正したかどうかは判らない。しかし「悪の陳腐さ」という言葉は、ジェノサイドを遂行したアイヒマンの犯罪を問うには、いかにも「陳腐」な表現だ。国家と官僚制への批判が曖昧なのである。それゆえ人道や国際という言葉が独り歩きするのではないだろうか。53年までの朝鮮戦争や50年代半ばまでの「赤狩り」(注5)を経た時期の論文とは、『人間の条件』はとても思えない。むしろ63年の『革命について』で明確にされる彼女の反共思想が、あえて階級闘争や国家の問題を消し去り、「ヒト」という抽象性に逃げ込むことになったのではないか。労働運動に関してアーレントは言う。「<労働する動物>・・・この共同性には、真の多数性を特徴づける印がなに一つない」(P340)、と。この主張は、『アイヒマン』で彼女がジェノサイドを批判した言葉とひき比べると、まさに「人道に対する罪」につながる。トロッタ監督は、最後に彼女に「思考」を強調させ、アーレントを投げ出したのかもしれない。

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(注1)師弟関係にあったハイデッガーは思考は知識を産むと言い、彼女は判断力を産むと言った点で違う。ナチが第1党になった1933年、師はナチ党員になり、ユダヤ人である彼女はフランスに亡命した

(注2)例えば彼女は3章注49で『資本論』を引用し、共産主義=「大衆消費社会」と論じているが、下線部を無視した。「自由の領域は、事実上、窮迫と外的合目的性とによって規定される労働がなくなるところではじめて始まる。・・・だが、これは依然として常に必然の領域である。必然の領域の彼岸において、自己目的として行われる人間の力の発展が、真の自由の領域が――といっても、かの必然の領域を基礎としてのみ開花しうる自由の領域が――始まる。労働日の短縮は根本条件である」(324章)。必然の領域の「彼岸」においても、当然、自然との質量変換と短縮さるべき労働日が存在する

(注3)このあたりでは彼女は、明らかにヴェーバーに拠っている

(注4)『ゴータ綱領批判』(岩波文庫、P20)。マルクスはドイツ社民党の専制との妥協や経済主義を批判した

(注5)映画『真実の瞬間(とき)』などで、「赤狩り」がいかに人々を追いこみ、いまのアメリカを形成したかを知ることができる

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