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2014年1月23日 (木)

差別の形成は、どう成しとげられたのか―ウェーバーから考える

昨年6月に『「国民運動としての反原発運動」に、“まともな批判”を試みる』(注1)を書いてから、ずっと差別の問題を気にしてきた(注2)。西川長夫の本に、「『国民である/でない』という法的なイデオロギーを基礎におく差別・排外主義に対し、その経済的=物質的基盤におけるイデオロギーの再生産を軽視した」と、あてずっぽうな批判もした。それがずっと私の「宿題」となってきたのである。ここではまず、第1次ロシア革命が勃発した年に書かれた、ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫、注3)を参照する。それは資本主義の、あるいは資本主義を生みだしたイデオロギーを論じているからである。

 

●プロテスタンティズムの「倫理」、そして資本主義の「精神」

ウェーバー説は、プロテスタントのあらゆる教派の中心的教義、「天職」という概念から説きはじめる点で特異である。その概念はルター派に始まる。カルビン派が「予定説」をとり、「救いの確証」を重視するに従い、それはプロテスタント各派に共有されていく(P107)。「予定説」とは誰が救われて天国に行けるかは最初から決まっている、「救いの確証」とは日々の行いによって自分が選ばれているか否かを確証する――ということだ(注4)。懺悔をすれば罪をあがなえる、免罪符を買えば天国に行けるというカトリックと比べると、「悲愴」な教えだ。逆にカトリックの宥和的な教会―信者の関係は、ルターが1517年に「95カ条の提題」で糾弾した腐敗の根源であった。そして「天職」は、カルビン派等においては世俗における「修行」となる。「社会的な労働は、ひたすら『神の栄光を増すため』のものだ」(P166)。「救いの確証」が決定的な意味をもち、被造物神化(偶像崇拝=見栄、虚飾など)の拒否、人間的な対人関係への嫌悪、現世の合理化の努力がそれに伴う。職業の有益さの程度、つまり神によろこばれる程度は以下のように唱えられた。「第1には道徳的規準(禁欲―筆者)、つぎには、生産する財の(社会―筆者)『全体』に対する重要度・・・第3の観点として私経済的『収益性』」。そこで第3点が最重要視される。低い収益性は、「自分に対する召命(神の命令―筆者)・・・に逆らい、神の管理人としてその賜物を受けとり、神の求め給うときに彼のためにそれを用いることを拒む、ということになる」(P310)。「プロテスタンティズムの倫理」とはこのようなものであった。

それとは区別される「資本主義の精神」は、とりあえず「時間は貨幣」、「貨幣は繁殖し子を生む」というフランクリンの言葉で「例示」される(P40)。彼は18世紀の印刷屋、発明家であり、アメリカ独立宣言の起草者だ。悲愴な「倫理」に対し、功利的な「精神」が際立っている。この転換についてウェーバーは以下のように言う。「純粋に宗教的な熱狂がすでに頂上をとおりすぎ、神の国を求める激情が醒めた職業道徳へと解体しはじめ、宗教的根幹が徐々に生命を失って功利的現世主義がこれに代わるようになった」(P353)、と。その要因についてウェーバーは系統的に語ることはしていないが、幾つか示唆を与えている。1つは「長年月の教育の結果」(P67)だ。2つは「近代的経済秩序」(P365)の確立である。特に後者については以下のように述べる。「勝利をとげた資本主義は、機械の基礎の上に立って以来、この支柱(禁欲の倫理―筆者)をもう必要としない」(同)、と。このことは「教育」に関連して次のようにも言われている。「今日では資本主義は堅固な基礎ができ上がっているから・・・(労働が絶対的な自己目的であるかのように励む―筆者)労働者の調達は比較的安易だ」(P67)、と。そして3つ目は、科学技術の適用に関連する。ウェーバーは、「17世紀の経験論は禁欲思想にとって『自然における神』を探究する手段だった」(P250)と言う。「現世の『意味』は・・・概念的思索によっては・・・捉ええないけれども、自然における神の法則の経験的把握によってその知識までは到達しうる」と、ベーコンらは考えたのだ。教育―機械―科学。信仰の枠から離れたかに見える社会が、そこでいかに新たなイデオロギーや支配形態を生成させていったのだろうか。

 

●宗教改革の背景となった、階級対立と社会的危機

ところでウェーバーは徹底的に唯物史観を拒否し、ゆえに歴史的にではなく、社会学的に所説を展開している。だがルターの宗教改革は、直接的な歴史的・社会的関連をもった。エンゲルスは『ドイツ農民戦争』(注5)を著し、ルターの宗教改革をこう意味づける。「国民を3大陣営に、すなわちカトリック的または反動的陣営、ルター派の市民的・改良陣営、および革命的陣営に、集結せしめた」(P60)、と。当時の神聖ローマ帝国を特徴づけるのは、大小の貴族や騎士の封建的な領邦分割と、教会が土地の4分の1以上を領有するというローマ・カトリックの「植民地」的(注6)な地位である。ツンフト的な工業の発展、ハンザ同盟のバルト海沿岸通商、金銀の産出、都市の興隆などはあった。とはいえ農業・工業・海上貿易の全面において、イタリア・イギリス・オランダに後れをとっていたとエンゲルスは言う(P41)。15世紀末のインド航路の開拓で地中海から陸路ドイツを経由する東方貿易の利益は失われつつあり、大量な金銀の流通によるインフレは下層民の生活を破壊した。すなわち一定の発展段階とその停滞において、利害を異にする諸階級が産み出され、かつ全階級が社会的・経済的な大再編の時期を迎えていたのである(注7)。そのとき「教会の教義は同時に政治上の公理であったし、聖書の章句はあらゆる法廷において法律としての効力をもっていた」(P62)。革命は、宗教的=政治的な権力としてのカトリックへのイデオロギー闘争、そして「被搾取国民大衆」たる農民の、教会と領主に対する一揆として展開されたのである。農民たちは、横領された共有地の返還などの綱領的要求を「12か条」(『ドイツ農民戦争』所収)にまとめている。彼らは152425年にドイツの3分の2を戦場としたが、それはルターの宗教改革と明らかに連動していた。

17世紀イギリスのピューリタン革命も、国家権力と宗教的教義をめぐって闘われた。ただしピューリタンは王党派に対抗する議会派のなかでは力をもったが、教団として確立されてはいなかった。それは1649年に国王を処刑し共和制をうちたてはしたが、国教会のなかでの倫理的な改革運動として存在しただけである。その実質は説教のなかにあった。ウェーバーは牧師バクスターの『キリスト教指針』(信仰と世俗の生活を導く11答式の教本)を参照している。そしてバクスターが対象としているのは、農工の独立生産者だ。梅津純一の『近代経済人の宗教的根源』(みすず書房)から11答の例を引用しよう(P164~)。「問い:市場において私の商品の真実の価値以上に求めてもよいでしょうか」。「問い:ある人が望んでいる有利な取引を、その人より先に私が獲得できるように努めてよいでしょうか」。これらへの答えは「等価交換」と合法的な「競争」であり、それにより「神のために裕福になる」ことを勧める。一方、当時は借地農を生存条件以下の生活に追い込む「搾出地代」が横行していたが、彼の答えは「慈愛」でしかない(P179、注8)。こうしてクロムエルの軍隊を支えた借地農層はプロレタリア化し、また革命を支えた独立生産者も17世紀を通じて資本家とプロレタリアに分化する。ロックの『統治2論』(1689年刊)は、絶対王政にかわる立憲君主制をうちたてた名誉革命を正当化し、フランス人権宣言に多大な影響を与えた。それは17世紀を通じた内乱と諸階級の分裂を総括し、権力分立のブルジョア国家の確立により、諸階級の対立を「国民」的な統合によって回収しようとしたのではないか。

 

●差別を生み固定化する、商品関係と労働者の物象化

それでは差別の社会的・経済的な根拠は何だろうか。ウェーバーは「神に選ばれた者」をフォーカスしたが、まず「選民」の存在それ自体が社会を2つに分割するものだった。彼はバクスターを引用し、その「身分」/「貴族主義」(P286/207)の対極にあるものについて語る。「日雇労働者(は―筆者)・・・好ましからぬ中間状態だ。『天職である職業をもたない者』の生活には・・・世俗的禁欲が要求する組織的・方法的な性格がまさしく欠けている」(P309)、と。「職業の有益さの程度」に関する価値判断がそこにある。17世紀前半のイギリスでは政府による救貧や失業者の職業紹介の制度があった。だが貧民の収容施設は「懲治院」という名のとおり、懲罰を与えて労働意欲をかきたてると称し、また治安を維持するものであった(注9)。ウェーバーの言う「長年月の教育」の実態の1つがこれであり、またこの支配様式自体、プロレタリアに対する差別を社会的に増幅・固定化した。

2つめの「機械」は、不変資本として資本の1面をなす。それは労働者の「知識と熟練の蓄積」を吸い取り、道具と動力を結合させて、可変資本としての労働力に対向する。そのとき労働者は、「たんにこの自動装置の意識ある手足として規定されているにすぎない」(マルクス『経済学批判要綱』Ⅲ、P644)。労働者は「禁欲」といった手続きをふむ必要は、もはやない。なぜなら「労働が絶対的な自己目的であるかのように励む」ことは、資本の意志を体現した機械が強制してくれるから。このプロレタリアの従属は、知識も熟練も「禁欲」の意志も持たない者として差別の根源となり、また資本の意志の内面化を強制する力としても働いたであろう。3つめの科学への「盲信」は機械への隷属に関係するが、ここでは触れない。

重要なのは資本の意志の内面化の問題である。ウェーバーが神と信徒との関係として説いたことは、容易に資本に対する資本家と労働者、そして価値と使用価値の関係に置き換え可能であることに気づく。「神の栄光を増すため」の労働はひたすら資本を蓄積する行為であり、「職業の有益さの程度」は資本蓄積の効率を論じていた。マルクスは価値論で、簡単な価値形態として「20エレルの亜麻布は1枚の上着に値する」という等式から始めている(『資本論』1、河出書房、P46)。亜麻布(の持ち主)は上着(の持ち主)に交換をもちかけ、上着によってその価値を計られて、等価であれば売買が成立する。その関係は貨幣形態にまで展開され、上着に代わった2オンスの金により、すべての使用価値が計られるようになる。この金が神だ。資本の意志の内面化とは、根本的にはこの商品交換関係―価値関係の受容である。労働力はくりかえし売買される。資本家の採用基準は「禁欲」の倫理、その結果は悪くすれば失業や窮乏だ。この繰り返しと結果は内面的には自己嫌悪、社会的には差別を産むだろう。

加えてマルクスは「物心崇拝」について論じている(同上、P67、注10)。「商品形態をとるや否や生ずる労働生産物の謎的性格」を論じ、「価値関係は・・・人々そのものの一定の社会関係に他ならぬ」としたうえで、その社会関係が「物と物との関係という幻影的形態をとる」、というのだ。労働者も、労働力という使用価値を担った「物」として、物象として資本家や社会との間で関係をとりむすぶ。こうして差別とは資本主義的な意味での価値判断に根拠をもち、「物心崇拝」のメカニズムによって社会的に固定される。プロレタリアは、労働力という「商品」の所有者すなわち権利主体として、いずれ国家の枠内に「国民」として統合されていくだろう。だが国民国家がそれ自体、差別的なものであることは、すでに論じたとおりである。

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(注1http://yo3only.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-cff8.html

(注2)西川長夫:http://yo3only.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-e3c9.html 他にジョン・ダワーやハンナ・アーレントに関し書いた

(注31905年著。引用では適宜、ドイツ語に忠実に訳された人名等を、教科書的な表記に置き換える

(注4)「予定説」がはじめて十分に展開されたのは1543年の『キリスト教要綱』の第3版、それが中心的な位置を占めるにいたったのは1643年、イギリスのピューリタン革命のさなかだった(ウェーバー、P152

(注5)岩波文庫。1848年のドイツ革命の「不発」をうけて50年に書かれた。「(16世紀前半―筆者)当時のドイツの政治制度、それに対する反抗、その時代の政治的ならびに宗教的理論などを・・・発展段階の原因としてではなくかえって結果として論証すること」が目的だと、エンゲルスは「序」で述べている

(注6)「イギリス、フランス、スペインにおいては教会はローマとの関係を絶って国民的性格を帯びつつあった。そしてただドイツだけは例外であって教皇の貪欲な欲望の対象となっていた」(エンゲルス、P69

(注7)全欧州が激動していた。14世紀のペスト流行により人口は半減、労働力不足で15世紀中ごろをピークに実質賃金は倍増した。ところが16世紀初頭に新大陸から銀が大量に流入、穀物価格が34倍も高騰するインフレ(価格革命)で実質賃金率は半減、さらに17世紀前半(60%減)まで低下し続けた。ペスト流行以前のレベルまで人口と実質賃金が戻るのは18世紀中ごろである

(注8)梅津の「搾出地代」論文 http://www.seigakuin-univ.ac.jp/scr/liv/liv_ronso/contents/doc5/01.pdf

(注91834年の「新救貧法」段階についてだが、「貧民作業所」の実態に触れた。失業者は1日じゅう歩き続ける「懲罰」を受けた http://yo3only.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/500-a02c.html

(注10)物神崇拝に関し以下を参照 http://yo3only.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/occupy-9790.html

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