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2014年6月22日 (日)

原発事故時、「避難が危険というなら避難するな」――原子力ムラ糾弾

 

613日、鹿児島県議会の初日に合わせた1,100人の県庁抗議行動が行われた。そのさなか、伊藤知事は要援護者の避難の問題について、「原発から10キロ以遠の計画は作らない」と発言した。物議をかもし、18日の代表質問をうけて釈明したが、「国の動向を見て検討する」という趣旨で、決して発言を撤回したわけではない。この自信ありげなスタンスは、避難計画に関する国・規制委の方針変更に由来している。中央の政治に敏感な天下り知事の、単なる暴言ではない発言だったことが問題なのだ。

 方針変更は、528日の規制委員会会議に提出された「緊急時の被ばく線量及び防護措置の効果の試算について(案)」(注1、以下「資料2」)に、その端緒が現れた。あまり注目されてないようだが、この「資料2」のデータを「新たな知見」として、いわば「避難が危険だというなら避難するな」という反原発運動への「切り返し」がいっせいに始まったのである。

●放射能放出を過小評価し、屋内退避の効果を過大評価する規制委

 「資料2」が主張するのは、以下の通りだ。「PAZ5キロ圏内―筆者)では、放射性物質の放出前に、予防的に避難を行うことが基本。/ただし、予防的な避難を行うことによって、かえって健康リスクが高まるような要援護者については、無理な避難を行わず、屋内退避を行うとともに、適切に安定ヨウ素剤を服用することが合理的」、と。その根拠とされるのが、(注1)の「別紙」に示される「防護措置をしない場合」と「同・する場合」の被ばく線量の対比表だ。屋内退避により、木造家屋では25%、コンクリート構造物では50%、被ばく線量を低減できるというのである。

 だがそこには、事故想定の過小評価、仮定の誤り、被ばく基準の恣意的な引きあげ、ウソ等がある。

①放射能の放出について、炉停止から放出開始まで12時間、一定の割合で5時間継続と言っている。この規則的な放出は事故ではなく、ベント実施しか意味しない

②総放出量は100TBq としてシミュレーションを行っているが、これは東電が計算している福島原発事故における3月中の放出量、900PBq1万分の1に過ぎない(注2、なおPBqはTBqの1,000倍)。ここで過酷事故は想定外なのである

③それでも「資料2、別紙」のグラフによれば、木造家屋内で最大284mSv/2日、平均値でも63mSv/同(原発からおよそ2.5キロ地点で)にのぼり、平均的な人でもIAEA基準の100mSv/週さえ超える。

④しかも木造家屋内への退避効果を「25%低減」としているが、これは全くのウソだ。旧原子力安全委員会の資料「屋内退避等の効果について」と対比すれば一目瞭然である(注3)。実際には③の数字の1.3倍強になる

アメリカ環境保護庁(EPA)の「指針」は「堅牢なビル内か地下室」を指定している。そんな建物は原発近傍にはとんと見当たらない(注4

⑥コンクリート構造物内でも20%低めの線量見積りだが、いずれにしろ一般人の基準(1mSv/年)からすれば法外な値になることに変わりはない

●要介護者を閉じ込め、救出のめども立たないシェルター

 「避難は無理」という批判に対する規制委の反発は、こうして嘘に嘘を重ねる代物であった。とはいえ政府・自治体は、「眼に見えるモノ」をもって批判に対抗しようとしている。それは薩摩川内市の5キロ圏内2地区に、66日までに完成した「一時避難施設」(シェルター)だ。その直後、同様な「防護室」が敦賀市西浦小でも完成している。この時期を見計らって、規制委の方針転換や伊藤知事の暴言もあったかもしれない。実際に、廃校となった寄田小(原発境界から1.9キロ、先のデータの最過酷地点より近い)に出かけてみた(注4)。

 寄田地区をビラまきで回ってみると、若い人をついぞ見かけない。「原発の放射能を嫌って、若い夫婦と子供は引っ越してしまった。さびしい」、という話をよく聞く。自治会長と薩摩川内市の担当課長との間で、次のような会話が交わされたと報道された。自治会長「1人で何人もの要介護者を助け出さなければならない」。課長「地域の人々で助け合ってやってください」――と。まるで「丸投げ」だ。

 それでもともかくシェルターに到着すると、体育館のステージを改造した施設は、とにかく狭い。103平米に52人を収容する計画だが、11畳分のスペースで出来ることは雑魚寝でしかない。要援護者の介護者や機材のスペースも確保できないだろう。かつて福島原発事故の際、30キロ近くにわたる渋滞のなか、車という狭い密閉空間のなかで60人もの方々が亡くなったという。これと同じ環境だ。またこのシェルターは4日間しか存続しえない。3重のフィルターを通して外気を取り入れ、内圧を上げて放射能流入を防ぐとのことで、裏に回ると空調器、その発電装置、燃料タンクがある。ところがタンク容量は950リットルで、きっちり4日分だ。燃料が切れたその時、2.5キロ地点でも最大被ばく線量7.9mSv/h284/2/24時間/0.75)、平均1.8Sv/h(同様の計算)という、福島の事故現場を上回る環境である。それより過酷な1.9キロ地点に、事故終息の緊急作業の一方で、いったい誰が救出にやってくるというのか。国・自治体の「切り札」は、実際にはこの程度のものでしかない。

●避難拒否の「思想」を、私たちは構築できるか?

 ここで避難をめぐる運動とその論理が、補強される必要が見えてくる。新しい対立構造は、避難は無理だから原発は再稼働するなという反対派と、無理な避難はしなくてよいようにするから再稼働させろという「原子力ムラ」――である。しかし一時避難施設には持続性も、そこからの脱出の見込みもないことは明白だ。また要援護者の問題だけでなく、すべての住民の健康と財産、すなわち生活が守られるべきことに変わりはない。当面、敵の「切り札」に批判を集中することが重要だ。同時に反対派と推進派との間で奇しくも「避難しない」、「避難させない」という点で「一致」したことを、どのように考えるかが問題となる。

 井戸川元町長は、かねて「避難しない」と主張してきた。それは仮に避難が数日で完了したとしても、それに続く長期の避難生活の苦難を問題にしている。福島で営々と築いてきた「社会」を壊され、慣れた「仕事」を奪われ、家族としての「生活」をバラバラにされた体験による。そこでは避難の強制そのものが人権侵害なのである。「原発こそが避難せよ」という主張は、原発のない社会を見据えている。同じく521日の福井地裁判決は、「人格権」という法理をもって電力会社の安全性軽視と営利主義の体質を批判し、大飯原発の再稼働を差し止めた。そこには共通して、原発事故やそれにともなう避難など、「緊急事態」と「超法規的政治」を拒否する思想がある。「安定・安全な生活が基本だ」、と言うのである。シェルターの思想と対比すれば明瞭だ。シェルターは、核戦争の勃発を前提し、大金を投じてそれを構築できる人たちだけが生き残るためのものである。本来それは核戦争を許容し、差別的なものだった。寄田などの「シェルター」は、しょせん要介護者を放置するための「姥捨て山」に過ぎない。

 私たちは、「避難計画ができていないなら、原発を再稼働するな」と主張してきた。うがった見方をすれば、完璧な避難計画ができれば再稼働を許すのか、という説も成り立つ。井戸川さんが言うように避難自体が人権侵害であり差別だとすれば、もちろんそんなバーターはあり得ない。だとしたら私たちは、もっとはっきり言うべき段階に来たかもしれない。緊急事態や超法規的な政治は許さない、避難が強要されるような原発社会は拒否する、と。生活と権利を主眼にした、当たり前の思想と政治である。それによってのみシェルター建設路線を本格的に批判し、原発再稼働を阻止することができるのではないだろうか。

*なお、放射能の放出はなかったものの、激甚災害として95117日の阪神大震災があった。そ の5カ月後、『震災の思想―阪神大震災と戦後日本』(藤原書店)が発刊されている。そこでは「正常状態の充実」が1つのキーワードで、「緊急事態」を拒否する政治―経済―社会が論じられている。別途、時間を見つけて紹介したい。私たちは「避難拒否の思想」を産み出せるだろうか。

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(注1https://www.nsr.go.jp/committee/kisei/h26fy/data/0009_03.pdf 参照

(注2)「福島第一原子力発電事故における放射性物質の大気中への放出量の推定について」

 http://www.tepco.co.jp/cc/press/betu12_j/images/120524j0105.pdf のP6参照

(注3)同文書では屋内退避を、「屋内に入り、建物の機密性を高め、口及び鼻をタオル等で保護すること」と定義している。それでも添付された表では、「木造家屋で浮遊放射性物質のガンマ線による被ばくの低減係数」は0.910%減)に過ぎない。 ところが529日の院内交渉で規制庁は、「窓等の『目貼り』で内部被ばくを含め40%減少する」と言った。25%にしろ40%にしろ、明らかにダブルカウントの嘘である

低減係数:http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail/php?Title_Key=09-03-03-02

(注4)もう1つの施設がある久見崎の旧滄浪小は、原発境界からおよそ1.2キロでより原発に近い

(注5)アメリカ環境保護庁(EPA)の「原子力災害時の防護対策指針」(改訂ドラフト、13415日)は場合により屋内退避を選択するとし、堅牢なビル内(低減係数=40%)や地下室(同60%)を指定している

「指針」の要約:http://www.jaea.go.jp/04/shien/research/EP002.html

 

 

 

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